1976年公開のアメリカ映画。
主演はロバート・デ・ニーロ。第26回カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞作品。
■あらすじ
ベトナム戦争から帰国した元海兵隊員のトラヴィス(ロバート・デ・ニーロ)は、仕事を探し、タクシードライバーに就職。何となく働く彼の心の中で、社会に対する怒りやいらだちが募ってきていた。
そんなある日、次期大統領候補者バランタインの選挙事務所で働く女性ベッツィーに一目惚れ。
しかし、事が上手く運ばず、ベッツィに嫌われることになる。
さらに追い打ちをかけるかのように、幼い売春婦アイリスの不満を耳にすることになる。
そして、トラヴィスは決心する。
まず、次期大統領候補者バランタインの射殺を試みたものの失敗に終わる。
その夜、幼い売春婦アイリスをかこうスポーツを射殺。アイリスの客も立て続けに射殺。
本来ならば、狂気の殺人者として扱われるはずが、アイリスを売春婦から救ったとして英雄扱いされ、この映画は幕を閉じる。
■気になったこと
*ベトナムから帰国した兵士は、英雄扱いされるどころか、社会復帰すらできない?
『タクシードライバー』のシーンの一つに、ベトナム帰還兵トラヴィスが、職業斡旋所で職を探している場面があります。
職業斡旋所で職を探さなければならないほど、アメリカは不景気だったのでしょうか。
背景として、ベトナム戦争帰還兵が祖国で冷たく扱われていた、ということがあります。
ベトナム戦争は、アメリカ社会を大きく変えてしまったことを念頭に置いておかなければなりません。
ベトナム戦争は、戦場の映像がテレビを通して伝えられた戦争でもありました。
報道の自由を重視するアメリカ軍は、報道陣の同行を許可し、あらゆる便宜をはかっています。
その結果、アメリカ軍の残虐な行為、アメリカ軍の若者の死体も全てがテレビに映し出されることになりました。
これが、アメリカ国民にベトナム戦争への懐疑心をかきたてることになったのです。
(後に、アメリカ軍は戦場をメディアに報道されないように規制しています)
帰還兵が冷たく扱われた原因はそこにあります。
アメリカ兵の残虐な行為を、テレビを通じてアメリカ国民に伝えられました。
ベトナム帰りというだけで、「お前もベトナムで残虐行為をしていたんだろ」と疑われ、再就職が困難だった若者が数多くいます。
ベトナム戦争は、アメリカ社会に後遺症をもたらしたのです。
*どうして殺人を犯したトラヴィスが英雄として扱われたの?
ここに、陪審と報道における問題が出てきています。
報道による陪審の影響をいかに防ぐか、という問題です。
イギリスでは、評決が下されるまでの間、事件に関する報道を厳しく制限しています。
陪審員に偏見が与えられと、公正な審理が妨げられるからです。
これに対してアメリカでは、報道の自由の観点から、報道を制限することは限られた場合でしか認められていません。
(報道による偏見を防ぐために、弁護士や検察官のマスメディアに対する発言を制限している)
結局のところ、大多数の意見が、人を犯罪者にも英雄にもするのです。
『タクシードライバー』では、売春婦アイリスが家出をしていること、まだ12歳であること、アイリスの親がトラヴィスに感謝の手紙を送ったこと、をメディアが取り上げ、トラヴィスは売春婦から立ち直らせた英雄として扱われました。
大衆の意見が陪審に影響して、トラヴィスは無罪釈放。
もし、大統領立候補者の射殺が成立したとすると、間違いなく犯罪者として世間から白い目で見られることになります。
もし、アイリスに両親がいなくて、ということであれば、3人を射殺した狂気と化した殺人者として扱われることでしょう。
■感想
一度は離れていったベッツィーが英雄となったトラヴィスに近寄るラストシーンで、ミラー越しのトラヴィスのするどい視線は何を意味しているのか、が僕は気になっています。
『タクシードライバー』が何を表現したかったのか、を探るにはあの視線に答えがあるような気がします。
社会に対して、自分の存在を主張したいがゆえ、殺人に走ったのか。
社会に対する苛立ちを解消すべく、その苛立ちの原因となる人を消したかっただけなのか。
静かに淡々と進められていく映画だからこそ、一つ一つのシーンに意味があるような気がして、それが印象に残った映画でした。
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